高山さんからの手紙
IMCCD 高山さんからの手紙 #021

IMCCD 高山さんからの手紙 #021

真に人のために生きる。

なぜ私がカンボジアに行くことになったのか

野田塾のみなさん、明けましておめでとうございます。新しい年を迎え、新しい気持ちで今年の目標に向かっているのではないでしょうか。私もカンボジアで新しい年を村人と一緒に迎えました。「なぜ、高山さんはカンボジアに行くことになったのですか」と、よく聞かれます。私は、愛媛の田舎の高校を卒業し、18歳で陸上自衛隊に入隊。以来、55才で定年を迎えるまでの36年余りを施設科部隊に勤務し、道路や橋の構築、地雷などに関する専門的な訓練をしました。そして、1992年から1年にわたり、陸自初の国際貢献活動である「カンボジアPKO」に参加。その任務を終え、帰国の途についた時のことです。私は飛行機の小さな窓から、蛇行する赤茶けたメコン川やヤシの木が点在するカンボジアの国土を見ていました。このとき「やり残したことがあるのではないか」という複雑な心境に駆られ「もう一度、ここに帰ってこよう」と決めました。あれから17年間、その思いがぶれることはありませんでした。・・・これは、2009年10月発行の『地雷処理という仕事―カンボジアの村の復興記―』(ちくまプリマー新書)の冒頭に記した一節です。

カンボジアの経験が、私の人生観を変える

カンボジアでのPKO活動の経験は、大変衝撃的なものでした。それは、これまでの私の人生観や、価値観を根底から変えるほどです。これをきっかけに、生きる上で一番価値ある生き方は、「自分の命と引き換えてでも、真に人のために生きる」ことを決意。45年間これといった目標もなく、ただ何となく生きてきた私の人生に「スイッチ」が入ったのです。2002年5月、36年間お世話になった陸上自衛隊を定年退官。3日後には、カンボジアに向っていました。以来13年間、このカンボジアで地雷や不発弾を村人と一緒に除去しながら、自立した地域の復興を目指してお手伝いをしています。

本質的なことは、素直に考えてみる

そんな活動の中から見えてきたものは、「戦争のない共生社会を次世代に伝えることが人類の最高の使命」ということです。その方法論、考え方が人によって、あるいは指導者や国々によって異なるので、大変難しいことですが、長い時間をかけてでも人々がこれの実現に向けて努力していかなければならないのです。「親ガメ転んだら子ガメもみな転んだ」という言葉の通り、個人がいくら幸せになろうと思っても、家族や、地域、国が不幸になったら、それは実現できません。一つの国だけが幸せになろうとしても、国際社会が不幸になったら、それも叶わないことになります。人の生き方には、人それぞれの考え方はありますが、「人を生かすことが、自分を生かすこと」ではないかと私は考えます。

「人の幸せとは一体何だろう」と、このカンボジアでよく思います。本当のことや本質的なことは、素直に考えればすんなりと正解が見えてくるものです。固定観念や、既成事実に捉われず、まっすぐ事実を見てありべき姿を想定すれば、それが進むべき方向だろうと思います。カンボジアの私の部屋には、エアコンも、テレビも、洗濯機もありません。でも、何の不自由ではなく十分に幸せです。野田塾のみなさん、是非一度おいで下さい。