高山さんからの手紙
IMCCD 高山さんからの手紙 #007

IMCCD 高山さんからの手紙 #007

家族、日本、そしてカンボジアの人々との絆24日

JAMS退任を決意

 野田塾の皆様、こんにちは。日本はそろそろ桜が咲き、1年で一番華やかな季節、更には新しい人生のスタートラインに立たれる方も多いと思います。ここカンボジアは1年で最も暑い時期になります。4月はカンボジアの正月で、人々はそれぞれ故郷に帰っていきます。4月に入ったころから、みなさんは早々と正月気分になり、そわそわしています。このそわそわ浮き浮き気分は、なんと4月下旬まで続き仕事にはならない状態です。大らかで、楽しむことが大好きなカンボジアの人々を見ていると、我々日本人も、もう少しゆったりと人生を楽しめばいいのになあ・・・・と考えることがあります。そういう私も、振り返ってみれば、36年間自衛官として、そして退官後9年間JMASというNGOでわき目も振らず活動してきました。

 そんな中、昨年の11月中旬に家内が突如脳腫瘍で倒れ、危うく命を落とすところでした。カンボジアでの活動に夢中になり、家内を含め家族の健康などについて目を向けていなかったことを心から反省しました。幸い手術が成功し奇跡的にも健康を取り戻しつつあります。そんな事情から大変辛い決断でしたがJMASを退任し、現在は家族との絆を大切にしながら、できる範囲の活動をこのカンボジアで続けていきたいと考えています。

カンボジアを思う気持ちは、とても大きい

カンボジアを思う気持ちは、とても大きい

 家族を含め日本の皆様を思う気持ちは、とても大きいものがありますし、それと同じくらい、カンボジアの村の人たちを思う気持ちも大きいのです。家内が退院しなんとか生活が出来るようになった1月下旬に私は、家内や家族の許しを得て、再びカンボジアに戻りました。目的は、JMASでの活動の後始末と、今後のことについてカンボジアの村人や関係者に説明したかったのです。5年近く寝食を共にして一緒に地雷除去をやったデマイナー(地雷探知員)達に地雷原に行って会いました。2ヵ月半ぶりに彼等の顔を見て胸がいっぱいになりました。「ター(私の呼び名)は、プロポン(奥さんと言う意味)が病気になったので、みんなと一緒に活動が出来なくなった・・・しかし、このタサエン村には、ずーと居るのでいつでもみんなと一緒だ。困ったことがあったらいつでも相談してくれ・・・」と説明しました。村中では、「ターが帰ってきたぞ!」と情報が伝わり、行く先々で久しぶりの再会を喜び合いました。こんなにも、村のみんなは私を待っていてくれたのかと・・・本当に言葉には表せない心境でした。  地雷を除去しながら、自立可能な復興の手段を模索し、これからもこのカンボジアと関わっていくことになりますが、こうした現状を日本の皆様にも、これまでのようにお伝えして、人の幸せとはどんなことなのかを、一緒に考えていければと思います。

これからもカンボジアのことを伝えて生きたい

 人が生きていく間には、思いも寄らないことに必ず遭遇します。特に逆境の時にどうするかで、その人の真価が問われるのだろうと思います。
今回のことで私は「家族の絆」、「日本の方々との絆」、「カンボジアの方々との絆」を強烈に感じました。一時的ではありましたが、とても辛く、苦しいことが襲ってきました。自分ひとりではとても立ち直れなかっただろうと思いました。家族や周囲の方々の支えで、この逆境を何とか乗り切れたと心から感謝しています。

 今回のご報告は、私事になってしまいましたが、これからもカンボジアでの出来事や感じたことを、みなさまにお伝えしていければ幸いに思います。チャンスがあれば皆様に直接お会いして、お話できれば本当に楽しいだろうと思います。
オークンチュラン(有難うございます)   カンボジアにて