IMCCD 高山さんからの手紙 #004
村の復興が目に見えてきたよ
4月に入ると正月気分
カンボジアはこの時期、1年で最も暑い酷暑の時期になります。外気温で40度を越す日も珍しくありません。また、この4月は、カンボジアの正月の月でもあります。13・14・15日が正月三が日です。人々は家族や親戚を大切にするので、殆どの皆さんがそれぞれの出身地に帰ります。
正月の行事としては、家族や友達と一緒に近くのワット(お寺)に行きます。ご飯や料理、果物を持ってお坊さんにお供えします。
若者の正月の遊びといえば、水掛や顔に白い粉塗りなどです。水掛は、道行く人やバイク、車に様々な方法で水をかけて気勢をあげます。また、近所や友達が寄り合ってカンボジア料理を食べたり、ビールなどお酒を飲みます。村人の家から1日に5~6軒くらい呼ばれることもあります。お昼の食事のころから呼ばれるので、1軒で1時間暗いご馳走になっても、5~6時間は食べ続け、飲み続けなければなりません。カンボジア人は本当に「もてなす心」が旺盛な国民だなあと思います。
結婚式も盛んに
さて、地雷処理活動の方ですがおかげさまで順調に作業をやっています。対戦車地雷や対人地雷、そして不発弾が月平均100個くらい出ています。平均して3ヘクタールくらいが安全な土地になっています。4年ほど前に18才で採用した村の若者も、もう22才くらいになり女性デマイナー(地雷探知員)達は、結婚をする人が多くなってきました。
カンボジアの場合、家計の継承は女性ですので男性が女性の家に入る形になります。いわゆる婿入りです。ですから結婚式は女性の家で執り行われます。大概は11月から4月までの乾季の時期に行われます。中でも1月、2月、3月が一番多い時期です。今年はもうこれまでに14~15回結婚式に呼ばれました。「ター、踊ろう、ター歌おう(ターというのは、年配者に対する敬称で辞書には「おじいさん」とあります)」とかなりエキサイトして皆で楽しみます。紛争後のハンディキャップを背負ったこの地域も復興の兆しが目に見えて来たように感じます。
焼酎製造で産業発展を
地雷原が安全な土地になり、畑が増えてきて主作物であるダムロン芋(キャッサバ)が、タイに売られていきますが、これに何とか付加価値を付けたいと思って、日本の技術を取り入れ、焼酎つくりを研究していました。それが成功して大変美味しいダムロン焼酎が出来ました。これをカンボジアの地場産業に発展させたいと考えて、カンボジアの若者や村人、そして日本の若者や酒造会社に協力していただき、焼酎製造会社を設立することになりました。近い将来、カンボジア国内はもちろん、日本、そして世界にカンボジア産ダムロン焼酎が登場することになると思います。
また、人の育成は支援の中で最も重要な分野ですが、この4月から青森県の光星学院高校に村の女子高校生1名が3年間留学させて頂くことになりました。2年前から夕方1時間日本語教室で教えていたことが大きなチャンスに巡り合いました。野田塾の皆さんから頂いた日本語の教科書も本当に役立ち、こうして結果に結びついたことをご報告いたします。これからも夢を諦めることなく活動してまいります。